戊辰戦争の際、飯盛山背後にある戸ノ口原の戦いで敗戦した白虎隊が戸ノ口堰洞穴を抜け撤退。飯盛山から鶴ヶ城(会津若松城)が燃えていると錯覚しこの場で自刃したことで知られています。
当時、新政府軍は会津藩側の戦死者の埋葬を禁じていましたがその後許され明治17年に自刃の地、飯盛山中腹に白虎隊19士の墓(後、31士の墓を建立)を建てました。
ふるさと自慢館
西会津町は、古くは優れた土器が出土する縄文集落でした。
江戸時代には越後街道の三大宿場として、大名が宿泊する御本陣が常設される特別な宿場町として栄え、幕末になると、東北の松下村塾とまで云われた学塾「研幾堂」が開設、歴史に名を刻む多くの門下生を輩出しました。
ふるさと自慢館ではこの類稀な歴史や文化、研幾堂から生まれた偉人達を歴史的な資料を交えて紹介し、西会津町の素晴らしさを後世へ伝える小さな資料館として、また、地域の皆様が多目的に利用できる交流の場として明治中期の写真でも確認できる、古くからある蔵を改装してオープンされました。他にも、如法寺にあった釣灯籠(国重文・現在奈良国立博物館所蔵)のレプリカや、洋菓子不二家のペコちゃん・ポコちゃんとの関係ほか、西会津町のおもしろ話・逸話の紹介など一風変わった展示もされています。